2015年05月19日

埴谷雄高さんの思い出 埴谷雄高さんの思い出 2015.5.19.

 遊びにいらっしゃい、と招待されたことは誰にもあるだろう。招待主は、全く知らない人からの招待は考えられないから、友人や知人に限定される。個人でなく、団体や集団からの招待もあろう。劇団からの招待や会などのお招きである。小生も、これまでに何回か、そのような機会があった。小生に絶対に来ない招待は皇室からだろう。園遊会などは遠い縁のない話である。
 招待を受ければ、必ず行くことにしているが、事情があって受けられないこともあった。そのような時は、丁重に行かれない旨を伝えている。
 埴谷さんから「遊びにいらっしゃい」と手紙をもらったのは1994年のことだった。吉祥時南町からの便りだ。いろいろ考えたが、結局この招待は受けなかった。小生は、かの『悪霊』を読んでいないのである。何回も挑戦したが、その都度挫折して、読破出来なかった。あれは完結していない、と慰めてくれ友人もいたが…。埴谷さんは、小生の「金子光晴の虚妄地帯」を世に送り出してくれた恩人である。戦時下の資料について、何回かお助けしたことはあっても、会ったことはなかった。耳が遠いからと、電話での話もあまりなかった。「自分で自分の記録をつくり、そして自分でまた自分を破っています。どれだけ続くか」なんて難解な手紙も戴いている。
 読破出来ないことを告げて、会いに行けばよかったと、今は後悔してる。
 同じようなことが、もう一つある。大岡昇平さんからの招待だ。これにも行けなかった。ただし、この理由は小生の時間的なことが理由である。これはまた別の機会に話そう。
posted by 櫻本富雄 at 18:33| Comment(0) | 空席通信・余話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月16日

呆れた話 2015.5.16

 朝日新聞の月刊誌『論座』に拙稿「住井すゑにみる『反戦』の虚構」が掲載されたのは、1995年8月号である。大きな反響を呼んでいろいろ騒がれた。毀誉褒貶さまざまである。
 さきごろ、当時の編集者だった永栄潔さんが『ブンヤ暮らし三十六年・回想の朝日新聞』(草思社)を上梓された。朝日の内幕が、淡々と語られていて、なかなか面白い。中でも石原前都知事の記事は抱腹ものだった。
 もちろん、私が一番関心を寄せたのは、拙稿が発表されたときの『論座』の内輪話である。
 社内の上司からは、かなり突き上げられたようだ。
 驚いたのは、佐高信がこんな文を掲載するのはけしからんと、激昂して、以後『論座』を贈呈してくれなくて結構、協力を断ると申し入れてきたことである。いろいろな褒貶は、当時つぶさに聞いていたつもりだが、この話は初耳だ。彼のことはテレビに出演していろいろおしゃべりしているのを視聴したことはあるが、著書は読んでいない。読まなくてよかった、と今は思う。
 さまざまな反響話が流れたためだろう。『週刊文春』の取材を受け、その記事が七月号に掲載された。これはスキャンして、小生のフェイスブックに掲載してある。佐高氏は、この記事にも激昂されたのだろうか。そして『週刊文春』には協力しなくなったのだろうか。
 事実はみなさんが知っているとおりである。呆れた話だ。
posted by 櫻本富雄 at 18:07| Comment(0) | 空席通信・余話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする