2020年07月26日

戦争の話 2020.7.26 

来週の火曜日に、ある新聞の取材を受ける。もう私など出る幕じゃないと思っていたが、戦後70年いじょうたって、人々から戦争の記憶が消えかけているので、当時の国策紙芝居などを通して、そのところを言及してもらう、というのが狙いらしい。
国策紙芝居については、私が収集した紙芝居や関連資料をすべて神奈川大学が引き取ってくれ、現役の学究たちが鋭意研究発表しているので(勉誠出版・『国策紙芝居からみる日本の戦争』など同大非文字資料研究室の一連のもの)、あまりしゃべることはない。紙芝居にこだわれば、以前同大学で紙芝居の実演を拝聴したが、その時、戦時用語の認識不足を痛感したので、そのことに触れるくらいか。「二階級特進」「畏れ多くも…」「内覧の榮」などの真意を、今の人たちは良く理解していない。「畏れ多くも」と言われたら即座に姿勢を正し気を付けの姿勢にならなければ、教師や上官の往復ぴんたが飛ばされたことなど全く知られていないようだ。そこで、取材に見えたら彼または彼女の戦争観を知る質問をしてから、今NHKでやっている(コロナ騒動で撮影を延ばしてるようだが)朝ドラについて、それが伝記のような体裁をしたモデルものだから、その危うさについて功罪を述べようかと思っている。取材が終ったら詳報をここに書くつもりだ。
posted by 櫻本富雄 at 13:05| Comment(0) | 空席通信・余話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月18日

改めてお知らせします。2020.7.18

本年の4月25日、夜、風呂から出る際に脳梗塞を起こし、ぶっ倒れた。翌日、日曜日だったが、倅夫婦(二人とも医師)のおかげで何とかMRI検査を受けることが出来た。右脳の視床下梗塞だった。幸い軽かったのか、左半身が不自由になり、言語障害が後遺症になったが、ミスター長嶋ほどじゃなかった。以来、自粛して、リハビリに努めてるが(不真面目に)、これは警告と思い、『空席通信』は止めることにした。一号からの原文は葛飾図書館が保有しているから見ることが出来るだろう。『通信』はこのところ、さぼっていて更新もせず、ちょうどよい時と思ったからだ。「余話」だけは残したが、そのことの報告が不十分だったため、いくつか問い合わせがあった。不満の声も聴いた。そこで,ここに改めてその報告をする。小生のアドレスはtomio-sa@zb3.so-net.ne.jpだから、なにかあったらこちらにメールしてください。老兵、消えるだけですがまだいくらかはお役に立つこともあるかも。だいぶ前の話だが、「遺骨を抱いて」の歌について、女性から(多分学生)から問い合わせがあり、この歌については、まだ書かなかった面白いこともあるので、後日さっそく連絡しようとメールを保存したつもりで消去してしまった。梗塞前の話だからボケたわけじゃないと思うが、やはりボケていたのか! 慌てたが、その後彼女からの連絡はなく、呆れられてお仕舞のようだ。小生,左右からや、いやがらせのメール、電話は一切無視するが、まじめな問い合わせには必ず返事をすることにしている。しかし、そんなことがあったから自信はないが、まだお役に立ちたいとは思っている。大橋さんとやらから問い合わせがあったようだがまだ返事していない、方法がわからん。かてて加えて左肩脱臼、右肩関節炎、左手の指三本、右手の指2本が腱鞘炎の身体、かつてのブラインドタッチが嘘みたいな境遇になったから、何事もうまくゆかない。歩行は以前から狭窄症で間歇歩行。踏んだり蹴ったりだ。以上お知らせします。/strong>
posted by 櫻本富雄 at 11:58| Comment(0) | 空席通信・余話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

哀悼 2020.7.18

映画監督の森崎東が16日、脳梗塞で死去した。92才だった。新聞に、かれの死去を報じる記事があった。1956年に松竹京都撮影所に入社してからの動向が紹介されている。
彼が映画への道へ進んだ原点について、記事は全く触れていない。

1945年8月17日の早暁、三重県香良洲海岸の砂浜で、一人の航空兵が自決した。ここに三重海軍航空隊があったのだ。「周囲の砂を掃き清め、靴の上に帽子、遺書、短刀のサヤを載せて正座し、はじめ指を切って白いハンカチに”一念“の血書をしたためて膝の上にのせ、左腹より右にきりあげたのち頸動脈を切り、左胸部をつき差して前にうつ伏せに倒れていた」と自決の様子が伝えられている(『遺書』1971年)。遺書は5通あったが、両親あては次のようなものだった。

両親様 先立つ不孝御許下さい。20年間御苦労のかけ放しで何一つ御仕えもせず、又々深い悲しみを御かけ申す事、返す返すの御不孝何卒御許し下さい。御国の御役にも立たず、何の手柄も立てず、申し訳ありません。死んで護国の鬼となります。私は生きて降伏する事は出来ません。私が生長らへてゐたら必ず何か策動などして、恐れ乍ら和平の大詔に背き奉り、君には不忠、親には不孝と相成る事目に見えるやうであります。以下略……。

森崎監督の兄・湊の遺書である。ここから東の映画への道が始まった。今頃は、その兄と敗戦後の日本について語りあかしていることだろう。新聞記事は、このことにまったく触れていない。詳しいことは拙著『燃える大空の果てに』1986年・日本図書センターで見てください。合掌。
posted by 櫻本富雄 at 10:28| Comment(0) | 空席通信・余話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする